相変わらずうだつのあがらない・・・
相変わらずうだつの上がらない気落ちの日々。
もんが死んだことの重い寂しさ、悔い。
楢葉の猫たちが安心して集っていたM所が解体されるとかで、残っている猫たちの救出に尽力している人の手伝いで出来る状況でないことの気落ち。ごめんなさい。猫ちゃんたちごめんよ・・・。
雨漏り修理の保険金がおりると保険会社から聞いて、今の苦境をなんとか乗り越えられそうだ安堵と感謝で天にも上る気持ちだったが、それからしばらく経ち、約束の日にちも過ぎ、業者さんにお支払いもできず・・・でも、猫、犬たちのごはんの買いだめをしておいたので、その点は安心で、自分の運のよさを喜ぶ。
お米もあることも幸い。おばあちゃんと私は連日朝・昼・夕、おにぎりで過ごす。
こんあもんよ。私の場合は身近な動物の救助ということだが何かに無欲にすべてを差し出すということは。いつも餓死かもしれないと冗談半分に言ってるけど、実際、そういう覚悟でやってきたよ。
いよいよ迫って来たからってガタガタすることたぁない。
その日が来たらそれはそれでいいのさ。クリスチャンのはしくれではないか、神仏の思し召しに普通に従わなくてどうする。
ナアンチャッテいいながも、まだまだ前向きにすすもうと志は持っているゾ。
というわけで元気です。
でもハラヘッタ。
どうなることやら
継母はたいてい8時には就床する。
夕方には猫たちや犬たちのごはんも散歩もトイレ掃除も終わっているので、継母の就床とともに私の一日もほおっと一息つく。
そうしてしばらくの時間、自分の時間として使う。
それなのに、たまにだが、継母が就床する前に、『ちょっとだけ・・・ほんの五分だけ・・・』と自分の布団に入ることがあって、そういう時、気が付くとも日にちがかわっている時間になっている。びっくりして飛び起き階下に走ると継母は自力で就床してくれていて、すやすやと寝息を立てている。よかったぁ、と私も本格的に寝る。
今日もそういう日であった。これから休みたいが、なんとなく気分は「どうなることやら」である。
模倣犯 後編
前編に比せば今夜の後編のほうが面白かったが、全体にありきたりという感想だった。
猟奇的殺人鬼の殆どは、幼い時期、親や自分に影響大だった誰かからの虐待を受けたトラウマにその原因がある、という筋書きだが、この映画もまさにそのまんまで、犯人の男が犯罪のスタートは親を殺しているだろうというのも容易に想像がつくものだし、とにかくつまらない凡庸な作りだった。
思うに、犯人の若者はこどもの頃、親、親の愛人、愛人の家族から凄惨ないじめにあっているわけだが、作品の主軸に、いじめた側への関心が全く描かれてないのがなんとも空っぽに感じて仕方がなかったのだ。
結局、不遇な幼児を慈愛で救おうとする大人がいなくて、ただただ財産を減らしたくないという理由で、ひとりぽっちの幼児を恐ろしい目に合わせ続けてきた存在の意味は、私は社会や世間を形作って居るものとして現実的にそれこそが重要ではないか、と思えるので、そこに視点を持たない映画は既成の範疇を出ないもの、でしかなかったのだ。
それにしても、雑誌記者の中谷と、テレビ放送の中で対決した犯人が、中谷の作話にあんなに易々とひっかかってしまうってのはどうなんだろ。中谷の話は作話なのだから、犯人は当然『これはひっかけだ』とわかるわけで、それなのに、あれほど幼稚な狼狽に堕ちるものかなぁ。私はそういうところがつまらなく感じて仕方なかった。
またラストにもう一度中谷が恐怖に合うこともなかったのがあれれ????であった。
今日(9月22日)の東京新聞の芸能欄に、模倣犯の9年後が主役は仲間由紀恵となって作られるらしいので、それに期待してみようとは思っている。
原作を読んでみようと思っているが、原作でも、あの犯人の不幸ゆえの闇を、あっけらかんと拒絶するだけの大人しかいないのだろうか? もちろん凶悪な犯罪を憎み受け付けられないのは当然のことではあるが、犯罪のひどさであればあるほどそこに至った人間の不幸を、深い慈悲に突き動かされる存在者がだれ一人いないというのも”人類の闇”であることに気が付かぬ、というのも深い闇であるわけだが・・・。
パートエレジー
何度も繰り返し書いているが、私の暮らしは今、要介護の四捨五入すると100歳の継母と、近隣に置き捨てられていたり原発爆発後福島の警戒区域などに置き去りになっていた猫たち犬たち27匹(ついこの前大事な大事なもんちゃんが死んでしまったから26匹だ)の大所帯である。
食費、医療費、介護費等を、夫の遺族年金で賄っていて、何をやっても頼りない私の腕では本当に近い将来みんなで餓死状態になるやもしれぬ現実である。
何とかしたいと、最近私はある介護施設の求人募集に応募し、74歳という年齢と見るからに世間知らずな無才人間とわかる私が雇っていただくわけがないと思っていたのに”見事”採用になり勤めに出始めた。
職種は清掃と洗濯関係である。二人の先輩の方の下で一生懸命働きだした。
真実言われた通り黙々と働いている。ご高齢の利用者さんが100人おられる施設の清掃と洗濯はそれなりにそれなりの状況もあるが、私は”何があっても決して嫌な顔をせずすすんで責任を果たす”を私なりに肝に銘じて黙々と黙々と働いているのだ。
大食堂のモップ掛けなど尋常でないしんどさだが、心中ひそかに『継母のためならエンヤコーラ、猫たち犬たちのためならエンヤコーラ』と掛け声かけながら励んでいる。ほんとだよ。
ところが、こんな事態が生じた。
突然、二人の先輩さんが、私に顔を寄せてきて、「食堂でみんなが食事をしている最中にもゴミ回収しているの?」。
「ハイ、そのように指導担当の事務のMさんに指導を受けました通りです。書類もありますよ」・・・だいたいこのやり方はこの先輩さんたちも承知の上のはず。というより彼女たちもやってきたはずのことだ。
それなのに、突然の非難めいた指摘で戸惑った。
だいたい最初から私は誰に言われなくても食堂のゴミ回収が気になっていた。なにしろ食事をされている中のことだから。それで、ゴミ車を廊下に起き、ゴミ袋を静かに引き出して廊下に持って行き、そこで別袋に入れ替えるなど配慮していた。
そのことも話し、「それでも不備でしたら、回収の順番をかえてやりましょうか」とまで提案し、そうすることになった。そうして私はその通りに実行していた。
これで何事もなくすすむはずだった。
ところが昨日、事務の指導担当の方が、帰宅時間になって時間の記載のために事務所に寄った私を待ちかねおられていて、ゴミの回収の方法を変えてくれと言う。
「かえましたが?」
・・・ことは単純なことなのに、これで終わらない。雰囲気的に、妙に私が言いつけを守らないと思っているような感じなのである。
私はこういうのが大っ嫌いなんですよね。心を公正に開いて話をきけばなんでもなくああそういうことか、とわかることが、妙にすっきりしない責めをもってくる。どうしなんだ?だ。
実はこの日、いつもの作業中に、二人の先輩さんが、いきなり私を囲むようにして、トイレ掃除をするだかしてだか、と言ったのである。
トイレ掃除のことは契約の最初の説明に入っていなかったし、仕事の内容を書いた箇条書きにもなかったので、突然、大きな山のような箱にトイレ用のあれこれおを積み込まれたものを目の前に運ばれ、合理的な説明はせず、「今日は洗濯たたみの仕事が早く終わったから・・・」とばたばたと押され、「トイレ掃除をするのならそれなりの説明があればしますよ、ただこのやり方がだまし討ちみたいで変じゃね?」的に言った私の言動も気にくわなかったのだろうが、私にしたら、??????????気分が悪くなるばかりの雰囲気に。
おまけに、トイレに行ってからの説明も、とんでもない早口で、「これががらずの洗剤、これは便器、ぞうきんは濡れてるのはなんとかかんとか(さわってみたらほとんでお濡れてる)」とさっぱりのみこめません。
そして、床にこびりついた大便をとるのに、私は洗剤をたらしてトイレレットペーパーでふき取るのが一番きれいにとれて、除菌にもなるからと言うのに、その先輩は、定規のようなものを私に持たせ、「これでこさいでください」と言うのである。
「は??? 固くこびりついた大人の大便を、定規でこさぐ?」
「ええ、トイレットペーパーは一切れも掃除では使いません。お金がかかってもったいないから」
「こさいだ大便はペーパーに包まず、素手でどうにかするってわけですか? こんな掃除の仕方を、一階、二階、いくつもあるトイレを掃除するんですか?」
こんな仕儀もあったものだから、私は事務の担当者が、ただあちら側の言い分しか聞いていないでいることにうんざりしてきた。
・・・・・・・・・・・・
ま、いい。
いつかこういうわけわからない妙なことになるだろうと思っていた。
小さな集団というのは、公正で視野の真っすぐな人間が一人いれば、過剰に物事が重くなったり、一人をわるものに仕上げてしまう、ということにはならないが、そうした公正な人が仕切れば、今度は自分は絶対正しいつもりの先輩格のほうが気分を悪くしてしまい、「私、やめてやる」と言いかねなくなるのだろう。
だから、私のような非力なぼんやりが背負わなくていいものを背負わされるのだ。
ま、仕方ない。ここは黙して成り行きにまかせよう。
もんちゃん、ごめんよ。
息を引き取ったのは今朝の三時過ぎでした。
あんなに健康体で天真爛漫わがままだったもんだったのに。
涙腺が乾いている感覚で涙もでなっかたのに、もんのためにこっちの家に連れてきていたもんが頼っていたバンタとハンに、「もんちゃんが死んでしまった」と告げ、それから、もんがずうっといた猫の家犬の庭のほうのみんなにも言わなきゃと、玄関で靴を履いていたら、突然激しい悲しみと寂しさが突き上げてきて、生きていくのがもおほんとにいやだと思い泣いた。
もんはだるたにあんさんと双葉のNさんの家の物置から連れ出した猫(Nさんには連絡した)なので、だるさんにもんの経過とついに力尽きた死をメールで伝え、ディに行った継母のいない家で、今ぼううとしている。
もんがより状態が悪化してきた三日前から、私は血圧が異常に高くなって、一日おきに行っている介護施設の清掃の仕事が堪えていたのだが、頭も身体も重くまるで海の底に沈みかけていくようである。
そうなればそれはそれでいい。この四十年間の犬や猫を置き捨てられいく暮らしとそれにまつわる人間への不信は、立ち直れないほど自分を蝕んでいるのだと実感するばかりだ。
そう思っちゃいけない、ほんとに多くの優しい温かい人たちに会って助けられてきたではないか、と自分の胸底に言い聞かせていると、うんうんと自分が頷いてきたので、そのことがなんか奇跡のような感覚である。
もんちゃん、ごめんよ。あの福島から、自分が引き取ればもお大丈夫、と意気揚々と連れてきたのに・・・ごめんよ。ごめんよ。
ケイ・タケイさんの「津々浦々tour 2016」
ケイ・タケイさんの「津々浦々tour 2016」のご案内状を、食卓に置いていたら、うちの猫たちがビリビリに遊んでしまった。
困ってしまって、知らない方のブログに記事があったのでリンクさせていただいた。(すみません!)
はいつもながら動きがとれない状況だがこのどちらかに行けるといいなぁ、と思っている。
※(普通に考えるとすべての事情が無理だろと言っている)