アカウントが乗っ取られたって?
先ほどツイッターから、アカウントが乗っ取られた可能性があるのでパスワードを変更してくださいとの通知がきた。
????????である。私のアカウントが何の役に立つんだ? アクセスも驚異的に少ないのに。わけわからん。
というわけで面倒なので、パスワードを変更したあと削除退会した。やれやれ。
このブログも気が向いた日に終わろう。我ながらなんのためのブログかもわからないつまらん使い方してるし。
それでも、ツイッターとこのブログを読んで下さった方がおられて、ほんとにほんとに嬉しかったです。ありがとうございました!♪
アメブロの、「社)なぜぼくらはおいていかれたの」というブログだけは、続けていきますので、もしもお気がむかれましたら、のぞきに来てください。
ではでは、皆様のご健勝とご多幸をお祈りしています♪
まったくな日々
パソコンがとうとうメールの送受信が出来なくなった。件名は受信するのだが本文が出ない。当然返信も送信もできない。
癇癪起こして森の茂みにでも捨ててしまいたいところだが、それなりに自分には重要なメールのやりとりもあるので、先だってあれこれのサポートさんに助けを求めてなんとかすることを試みた。
ほんとに一日かけて、スマホにメインのアドレスが着信なるようにした。といってもパケットだかロケットだかの代金が結構高額だというので、一時間に一回そのアドレスが入るようにした。これでいいんだかなんなのだかわからない。それでも一応メインアドレスの中身は読めるようになったので、ま、いいか、と己を慰めている。
この記事だって送信するところまでできるかどうか////
おばあちゃんこと継母いわく
掃除人の仕事、結構体力使うししかも四時間立ちっぱなし(洗濯物をたたむときはカーペットを敷いた床に座っての作業になるのだが、私は殆ど座らず立ったまま棚をたたみ台にして作業をする。このほうがたたんだ衣服をどんどん各自の棚に入れていけるので早いのだ。床に座ると、立つとき「どっこらしょ」状態になるので時間のロスが出る。
というわけで、それなりの重労働感があり、帰宅したら大急ぎでおばあちゃんのお昼ご飯を作るし、それらが終わり一応一段落すると、私は椅子から立ち上がるのもいやってほどになってしまう。
さて、そんなであるが、先輩の女性お二人から今日もほめていただき、それをおばあちゃんに嬉し気に話したら、おばあちゃんいわく。
「掃除婦の仕事なんてやり手がいないのに、和恵さんみたいに喜んでやる人は貴重だからおだてておくのよ」。
これを聞いて私は内心言い返した。
『おぬし、私に恨みでもあるのか』。
これをケアマネさんに話したら、「さすが梅おばあちゃん、よく世間を知っている」だって。
結局私はこういうふうに、誰かにほめてもらったことがない。コドクだ。
NHKアーカイブス この子らを世の光に
つい今、糸賀一雄の思想と実践として有名な、『この子らを世の光』を映像化した番組を観た。
障害者の存在を、”障害者に世の光を”ではなく、”障害者を世の光に”と気づき、実践をしてこられた糸賀先生と、それぞれの人格と思想を培いつつ、糸賀先生を支えともに歩まれた、池田太郎先生、田村一二先生の姿と思想と実践を追った何年も前の番組を紹介した番組である。
『障害者と健常者がともに生きていける社会こそが豊かな社会である』を実践し続けてこられた糸賀先生と池田先生と田村先生。 私は若い頃保育の勉強をして幼稚園教諭をしていたので、知識として糸賀一雄の存在は知っていた。だがすっかり忘れていた。
そしてこの夏から介護施設の掃除人として働きはじめ、施設の仕事の研修の講義をして下さった先生が、『糸賀一雄』を大変尊敬されている形で話をして下さり、糸賀一雄の名前を出されたのだが、この瞬間、思わず、『あっ』と声をあげそうになった。
なんで忘れていたんだろう、というショックがあった。
時間がないのでつらつら書くのは止めるが、ちょっと書き出しの題からずれるが、ひとつだけ書いておきたい。
世の中にはさまざまな形で偉大な生き方をする人がいるものだと、胸がじんじんじんじんする。マザーテレサさんや宮城まりこさん・・・・・私にとって強烈な偉人は、先ごろ亡くなった多くの犬猫を救い続けられた千葉の『藤田美千子さん』。
そしてこれから日本の、いえ、世界の偉人と誰もが認めるだろうと今思えてならないのが、小池百合子都知事である。そう感じる理由は、何をしたとか、どういう高い人であるとかということではなく、”魂の扉を開いて目の前の人や出来事をまっすぐに見れる人”だからだ。
”魂の扉を開いて目の前の人や出来事をまっすぐに見れる人”。テレビの中であるが、私は小池さんをこう認識した時、本物はこうやって顕われた! と思った。
真の偉人はこの点にある気がする。ガンジーもそうであった気がする。マンデラさんも。おそらくオバマさんも権力から離れられて以後、そう生きられるのではないか、と思う。
そうそう、もうひとつ書いておきたい。
『障害者と健常者がともに生きていける社会こそが豊かな社会である』
の中に、犬や猫たち身近な動物(ほかの動物は別の意味と理解がともなうのでここではこう書く)も入ることを願う。
さ、犬の散歩をして、おばあちゃんのごはんだ。
docomoスマホのその後
猫のポクちゃんに起こされてしまった。そこで一個記事を書いておくことに。
前にぼやいたスマホの件だが、結局、☎だけとしてしか使えない。あまりのことに、ちょっと遠い町のdocomo店に行ってご教授をお願いした。
「ポストに入っていたラクラクスマホのチラシを見て、隣りの市のS市の大手スーパー内のスマホ店に行ったのですが、”このチラシのはよくありません。初心者の方にお勧めは絶対これです”と言われて購入したのですが、さっぱりわかりませんで困っています」と言ったら、対応して下さった女性の方は、「これが絶対と言ったんですか」と首をひねりつつ、「待ち受け画面がこれでは初心者さんにはとても難しいので、わかりやすい待ち受けにしておきましょう」と言って、☎、電話帳、メール、アプリなどが押せばいいような画面にして下さった。
「わっ、これ、わかりやすい!」と喜んだ私、『有能な店員さんに会えてよかった♪』と帰った。
ところが、なぜかメールが使いづらく結局使えないまま。(電話帳の携帯アドレス登録の方にはアドレス変更のお知らせを送ったが、あれは遠くの町の有能な店員さんにやってもらった。(ありがとうございました♪!)
とにかくこの事態にすっかり落ち込んでいる。
大手スーパーの店に最初に行った時、店の外の通路で2時間もかかって対応してくれた男性店員の説明がなんだか明確でない気がした上に、あと1分で製品をお渡しできますと言っておきながら、別の店員が、「あと2時間かかります」という展開を告げたものだから、私は怒りを露わにして翌日の予約をとって帰宅したのだが、その翌日の予約時間に、別の店員が対応して、また別のスマホを出し、「これがいい」と勧めてきたのだった。
でもいいと言っておきながら、それは、「電話でサポートができないタイプ」と言った。サポートしてもらえないとは初心者の私にとっていいはずがない。
とどのつまり、私はもともと馬鹿にされた客であった上に、前日の展開に怒りを見せた、その仕返しを受けての今のスマホ、ということになった気がする。・・・なんてひねくれたたことまで考えてしまって、トホホホのため息ばかりの出るスマホ展開である。
遠くの市の店の女性店員さんは、「これはちょっと難しいと思いますので、困った時はいつでも来てください」と言って下さったが・・・・・買ってすぐに宝の持ち腐れ状態にしたままになっている私のスマホ。
それにしても、最初の店の外の通路で対応してきた店員が、やけに細かくこちらには重要な個人情報を聞いてきて、自分のタブレットに打ち込み、画面を見ながら、「ああ、これで全部わかりました」と言ったあれ、スマホ購入に必要だったことだったのかなぁ、大丈夫かなぁ~~~~~とそんなひねくれ心配までしてしまうスマホ。
この顛末をトータルで見れば、結局、私の無防備さ、いいなりになった愚かさもまた問題だったんだよなぁ~~~~~、私の人生、こんなことばっかりだよ。自分にまったく!
※別ブログより転載
※最初の記事を少し書き直しました。