万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと。要介護の継母のこと。自分自身のこと。・・・福島原発事故後、置き去りにされた猫たちに給餌に通った頃のこと、いっしょに暮らすちょっと多めの犬や猫たちのことを書いた別ブログもあります。(なぜぼくらはおいていかれたの)

「私は信じた。それゆえに語った」コリント人への第二の手紙 4章13~18節

NHKアーカイブス この子らを世の光に

つい今、糸賀一雄の思想と実践として有名な、『この子らを世の光』を映像化した番組を観た。 障害者の存在を、”障害者に世の光を”ではなく、”障害者を世の光に”と気づき、実践をしてこられた糸賀先生と、それぞれの人格と思想を培いつつ、糸賀先生を支えとも…

K子さん

自分の現実のしんどさにとらわれている私は、最初の電話ではあなたに起こった現実のむごさに気づかなかった。 二度目の昨日、やっとわかった。 そんなことが起こっていたなんて。 どんなに辛いでしょう。寂しいでしょう。 言葉も出せなかったけど、ひとつだ…

本当は

介護施設に清掃のパートに行くようになって思うこと。 率直に言って体調的にはとてもつらい。食欲がおちて無理に食べようとすると気持ちが悪くなるぐらいである。 でも、楽しい。 朝職場につくと洗濯場に直行して、洗濯機をまわすことからスタートする。 洗…

パートエレジー

何度も繰り返し書いているが、私の暮らしは今、要介護の四捨五入すると100歳の継母と、近隣に置き捨てられていたり原発爆発後福島の警戒区域などに置き去りになっていた猫たち犬たち27匹(ついこの前大事な大事なもんちゃんが死んでしまったから26匹だ)の大…

至福

私の日常はちょっと憂鬱の色合いが強い。 犬たちや猫たちの毛にまみれて要介護の96歳の継母の明日の食事すらただただ質素を心掛けるだけの日常でしかも疲労に打ちひしがれており、だからというべきか、やることなすこと妙な負の結果を抱えることが多い。どん…

2016年5月27日 オバマ米大統領 広島にて祈る

(写真は東京新聞5月28日朝刊) ※管理人の言葉は削除しました。

除染作業の仕事を一時行った人のブログより一部転載

「除染は、地表1㌢の線量を0.23μsv以下まで下げますこの0.23という目安も引き上げる議論を長くしていますね除染作業をしていてゾッとしたことは、線量が高いいわゆるホットスポットの線量を落とすために土を削ると、、、掘るほどに線量が上がっていく、とい…

清原さんの裁判

継母の様子が気になるので、ゆっくりテレビを観る余裕はないのだが、清原和博さんの裁判はどんな様子だったのだろうと、昼間あるテレビ局のワイドニュースを観た。 ゲストの一人の方が、「プレッシャーから解放されたくて現役を引退して後薬を使うようになっ…

清原さんの裁判に佐々木主浩さんが証人として立たれることについて

継母の病状で病院に行かなくてはならないのに、ネットでみたこのニュースについてどうしても一言書いておきたかった。 佐々木さんの証言台に立つ行為に対して、何らかの(ニュースでは監督になれる云々と)利点があるということに焦点を絞っていたが、この件…

ヘイトスピーチ法案に関する現時点での私感

ヘイトスピーチ法案が本会議で可決され、参議院を通過したんですね。 これは、日本以外の出身者に対して、行き過ぎた不当な差別的言動が多くあることで、そうした差別をなくそうということが目的のようです。 私も差別行為がデモとして起こっていることも、…

ノラの夢をみた

もう40年近くなる。 その㋃、まだ小さかった長男と次男と歩く道後温泉の公園は、桜の花が満開だった。 事務所に近くにハエのわんさとたかったごはんにかつぶしの餌箱がおいてあって、近くに、生後二か月ぐらいのやせ細って顔中がめやにで覆われた三毛猫が…

群馬のA子さん

昨日、しばらく電話で話す。 私から用事があってかけたのに、私の伝えたかった話が終わると、「一度切って」と言ってかけ直してこられ、「話したいので」と。私のなんとも愚なる苦難苦境にしてしまう生き方の現実をこうして思い遣って下さるのは、この人と、…

寂しさ

友人J子さんのお連れ合いが亡くなられた。 数日前にお聞きしたのだが、すぐにブログなぞに書こうという気持ちになれなかった。自分自身の心身が落ち着いている時に、と思っているうちに今夜になった。 J子さんとは夫の転勤である地に住んだ時に社宅で知り…

うめさんの昨今

食欲に関してやや気になることが。 量はこれまでと変わらないのだが、食べ方が消極的になっている気がするのだ。これはやっぱり心配の要素。 継母ことうめさんと同居するようになって、うめさんの健康を維持していくことに私なりに気をつかっていた。私自身…

生きる道が定まった記念日 2016年㋃24日

今更「生きる道が定まった」と神妙にいうのは、これまでどこに行っても傲岸不遜、傲慢不遜、あるいは愚者、と片付けられている私としては気恥ずかしい気すらするのですが、真実、覚悟というものを決めた日となりました。それは、本当に、いいことでした。 そ…