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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

転載=動物たちを守るはざまでの哀感

 

昨日、「社)なぜぼくらはおいていかれたの」というブログに、「動物たちを守るはざまでの哀感」という記事を書いた。
↓の太字がその転載記事である。
 
息子二人がまだ小学低学年の時に出会った永遠のノラを守っていく成り行きから、30数年間で何百匹もの猫や犬を守り続けてきた人生になった。一度に何百匹がいたということではないが、多い時には40数匹との暮らしであったし、フツウの家庭でフツウの作りの家でのそれは今思い起こせば壮絶ですらあった。
 
苦労と悲しみと怒り(捨てて行く人、常に捨てる側に立つ行政に)が高じて自身が壊れかけそうであったし、懸命に壊れかける自分と私のせいで不遇を耐えざるを得なかった家族と崩壊しかかる家庭を守ろうとする闘いでもあって、今思い起こさなくても「よくあんな暮らしをしてきたもんだ」と茫然とする人生であった。私にだって家族にだって楽しく取り組みたいこと、嬉しくやっていきたいことがあったのに!
 
そして自身が明日死んでもおかしくない年齢になった今も、下で書いたような日常に苦しむ。
暮らしの中の現実は、愚痴ったってぼやいたって落ち込んだってどうしようもないのだ、とわかっているのに、根性なしで不徳な私は、すぐにぐだぐだぐだぐだと恨みがましい気持ちになってしまう。今となってはその自分の往生際の悪い情けなさが一番いやだ、ネ。

今、下妻市のクリーンセンターから帰り、おばあちゃんにおやつを出して、こうしてブログを書いている。

クリーンセンターというのは、有料ゴミ処理場のこと。
我が家は保護して一緒に暮らしている犬や猫がたくさんいるので、排泄物が多い。
地域のゴミ出し場に出すと、お当番の方が全部のゴミの仕訳をされるそうなので、我が家の排泄物の仕訳をしてもらいことになるのは申し訳ない気がして、この町に越してきて二十数年になるが一度も地域のゴミ置き場には出さず、有料のほうに自分で持っていっているのだ。
(このクリーンセンターが出来るまでは、月に何回か業者にきてもらい、びっくりぽんな高額を払いつづけた。45Lの袋三つで7000円要求されたこともあった。

犬猫を無責任で身勝手な人に家の前に置いていかれる理不尽は、こうしたゴミ処理の理不尽も我らの肩にかかってくるのだ。
本当に、人知れずやり切れない不遇を抱えてきた。

さて、クリーンセンターが出来て、わけのわからない詐欺まがいの業者との縁がきれ、料金もここを運営する下妻市、八千代町、常総などの市町村が決めたものになったから、業者よりははrかに安くなり、私は月に何回か、職員さんに敬意を持ちながら通ってきたのである。

ところが、ここ何か月か前から殆ど倍の値段にUPした。
市役所や役場の何かの改定は三月末で決められ市民に施行されるのは四月ではないかなぁと思いつつ、ま、いいやと、相変わらず職員さんに敬意を表わしつつ常に礼儀正しくにこにことそれに従った。
ゴミ出しを申し込むとき、「家庭ごみです」と言ってるのだから、もらったゴミの受重量と料金の出るカードを、何疑うことなく文字を読みもせず使っていた。

それがひょんなことから、疑念を持った。
「おかしい! 改定の時期も、料金もおかしい!」

そう、私は、「家庭ごみです」と申請して、担当氏も、「はい」と了承の返事をしているから確認などしなくていいと向こうのするとおりに従っていたのだが、それは、見下して馬鹿にされている所業であったと気づいたのだ。

いつも排泄物のゴミを出にくる安物の衣服の白髪頭の疲れた顔をした老齢女・・・こうやってわずかの駄賃のようなお金をもらってやっている、となると、商売じゃん? 事業料金を請求してやれ、わかりゃしない、事業所用ゴミも家庭ゴミも区別すらできないだろう・・・って感じだ、と気づいたのだ。

なぜ、どういう経過で気づいたか? ただの疑い、妄想ではないか? と、フツウは思うでしょうが、私は自分の気づきはその通りだという確信がある。

まぁいい。
こういう程度の町に住んでいるということだ。

ソドムの町とはそういうことだ。
人殺しが横行する町がソドムなのではない。

自分のしたこと、しなかったことをわかろうとせず、自分の価値観に合わせてのみ人を見下し、自分の価値観外の者を苦しめて平然とするフツウの人々が作る愛無き町がソドムなのだ。

そしてこれらはすぐに染まる。
自分もまた、自分に降りかかった悲しみに囚われすぎていると、結局はソドムを生み出すことになる。

そう、自分を制し制し、光を求めようと懸命になっている。

言いたいことの道筋が分裂気味になってしまった。
まぁいいか。書き直しも削除もしない。今日は怒ってるのだ。