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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

学歴詐称に思う

テレビやラジオで、ニュースや社会の事象に意見を発信していたSさんが学歴を詐称されていたとかで、今日の午前中のフジテレビのワイドナショーでそれを取り上げていた。

 

Sさんの意見や視点や述べ方は支持率が高そうだったし、私も好感を持っていた一人だったのでちょっと考え込んでしまった。

『経歴詐称で活動の土台作りをして、その上で社会的に仕事をするというのは確かによくないが、Sさんにどんなに知識や視点に価値があっても、学歴等の背景がなければ誰も相手にしない社会になっている』

『Sさんは、自分の視点や思考は社会に必要だという思いで、それを発したく、発せる力になる経歴を作り上げたのだろうか』

『学歴や家柄はあっても、ろくな生き方をしないで楽な位置で認められてエラソーにしている人間は山ほどいる。・・・そういう現実への悔しさやこれでいいのか、という思いがあったのだろうか』 

『でも、Sさんほどの才能があれば、学歴などに頓着なく、自分の視点、考えをどんどん書物にしていく発信もあったはずだなぁ・・・とここまで思って検索したら、既に著作は何冊も出しておられる。

どれも学歴等社会的な価値ありと人が思う背景があるからこそ人が関心を持つ、という内容のようだ。・・・人に社会に発信を届かせるために、学歴経歴を作るしかなかった、ということかなぁ』

 

などなど考え込んでしまったが、Sさんの気持ち、わかる面が体験的にある。

 

私は父親が嫌いで、父親の援助を受けたくなく、合格した学校を自分だけの力で通うのは無理だと早い時期に悟っていて、昼間は幼稚園に助手として働き、夕方から授業の保育専門学校に行った。

自分で言うのも何ですが、私はどこでも真面目で勉強熱心で、本当に裏表なく働く子だったので、助手として働いた幼稚園から資格のある先生と同額のお給料をいただき、結構悠々と卒業し、卒業後はその時保育専門学校が短大になりかける時期でその付属幼稚園に勤め、ここでも他の幼稚園とは比べようのない高額のお給料が出て友人たちに羨ましがられ、また保育雑誌の執筆やテレビの保育関係の番組に推薦されることなどよくあり、それなりのプライドをもっていつも前向きの青春期を送ったのだが、後年、『合格した学校を出ていたら、こんなことで悔しい思いをすることはなかったのに・・・』という躓きの思いがこみ上げることが何度もあった。

結局は己がもっていたプライドが、自分の品性を卑しくしていくのだ、そんな愚劣な自尊心に負けてはいけないと、自分をいさめいさめして生き、74歳の今日に至っているが、この年になっている今、貧しい放浪者のようになっているのになお、自分の選択した道を悔んだりすることが正直あるのだ。

だから、若い優秀な才能を持つ人が、己の道筋を築こうとして、自分が持たなかったものを悔み、つい詐称していく、というのがわかる気がするのだ。

 

人間は弱くはないが、そう強くもない。また悪魔が掘った穴に易々と落ちる”時刻”もある。

 

だが、

人間は強くはないが、そう弱くもない。悪魔の掘った穴に落ちても、自分を澄ませる痛みを経て、自分で”決める”真実の思いをもてば、そんな穴何ほどのことはない。