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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

どろろ

朝未明に物思いにふけっている時って、結局は自分のあれこれを考えるもんなんだなぁ。

 

大分昔だが、手塚治虫さんが描かれた作品に、身体の部位がない少年が、妖怪と闘い倒すごとにひとつ部位がつく(戻る)という哀しくも恐ろしい漫画を読んだことがある。どろろといったと思う。

それを読んだ時、自分もどろろだと思った。

私の場合は何かと闘うということではなく、ひとつひとつ何かを体験して、人間として必要な成熟をしていく、という感じであった。

それほど私は自分が何も知らない、何も出来ないダメな人間なのだと思っていた。

 

70歳を越えた今も、自分はどろろだなぁと思っている。

家族や他者を幸せにする成熟を持たない哀しいどろろなんだと。

どう生きたら、真の思い遣りや理解の持てる温かい人間になれるのかなぁと、真実辛い思いを感じている。

 

今日、四時半ごろに目覚めて、ずうっとこのことを感じていた。

夫はもう他界してしまったが、現在いっしょに暮らしている継母と動物たち、そして現実感が薄くていつまでも未成熟な私に愛想をつかして近寄らない息子二人に、現実的な責任を果たして人生が終われるようになりたいなぁと、つくづくつくづく思うのである。

どろろは、妖怪と命をかけて凄絶な戦いをし、少しづつ完成された身体を取り戻していくが、私はきっと、一回の人生でやっとひとつのちっぽけな愛を自分に宿し、死に、そして次の人生をまだまだ未成熟のまま懸命に生き、またやっとささやかな愛を自分に宿し、死に、という繰り返しをして、気の遠くなるような繰り返しのあとにやっとやっと神仏に許される愛を持った成熟を果たしていくのかなぁ、と思えてならないのだ。

 

今生は私にとって・・・・・・あ、なんと、もう6時42分だっ! 大変だ!