東京新聞「筆洗」より=カート・ヴォネガットさんの神ではなく悪魔がこの地球を創造し
今朝(2016年4月12日)の東京新聞の「筆洗」に、アメリカの作家カート・ヴォネガットさんが、エッセイ集「国のない男」で、”神ではなく悪魔がこの地球を創造し、「ろくでもない人類」という奴を創造したのだ」”と書かれていることに触れている。
これはアメリカのケリー国務長官が広島市の平和記念公園、原爆ドームを訪問したことを通して、今も続くテロや紛争や殺人を重ねて世界の状況を憂えている記事であるが、私は、”神ではなく悪魔がこの地球を創造し、「ろくでもない人類」という奴を創造したのだ」”という引用の言葉が胸に刺さってきた。
この実感をこれまで生きてきた日常の中で感じ続けてきたからだ。
人間は誰しも嘘をつく。嘘をつかない人などいない。でもその嘘の多くは、人の好い善良な心根や単純な無知から生じたものもあるだろう。
だが、自分の欲望や冷酷を土台に、他者の人生の美徳を取って代わろうとし、そのために巧妙な嘘をもって他者の魂を貪り滅ぼし、滅んだ他者の持っているものを自分のものにする”悪魔”が、そこここにいる。
私はなぜか、そういう”悪魔”に付け入られることがあり、いわばそこでの闘いの人生でもあった、と感じることがある。
恐ろしいのは、多くの普通の人間たる人々は、そういう”悪魔”の”嘘”に篭絡され易い、ということだ。悪魔はそれを十分知っていて、巧妙に嘘を駆使し普通の人々を味方につけ勢力を伸ばしていく。
私は現社会が、そうしたものに侵食されていってるのではないか、と大分昔から体感している自覚がある。
私がそうした悪魔的な人間に付け入られ標的とされているのにいまだこうして生きていられるのは、現世の利益にまったく無関心無頓着であるからだろう、と思っている。
私は本当に計算の出来ない頭の悪いつまらないぼんやり人間なのだ。
欲に長けた人々は自分の強欲が邪魔をして人の洞察ができないから、私をしばしば標的にするが、私は真実奪われるなにものももっていない無能人間なのだ。
ごめんね、アクマ的さん、こんな私で。(笑)
ナアンチャッテ、こんなのんきなことを言っているが、このアクマ的な人間の所業にとらわれてそれと闘うことが正義のように感じていると、いつの間にか、立場が逆転をする、という恐怖も、私は知っている。一番恐ろしいのはそこだ。
ナンチャッテ。いろいろあり、いろいろ感じ、苦しんできたが、そんなことより、日々を誠実に質素に親切心を忘れず生きていきたい。真実そう願う毎日である。