生きる道が定まった記念日 2016年㋃24日
今更「生きる道が定まった」と神妙にいうのは、これまでどこに行っても傲岸不遜、傲慢不遜、あるいは愚者、と片付けられている私としては気恥ずかしい気すらするのですが、真実、覚悟というものを決めた日となりました。
それは、本当に、いいことでした。
そのことを確かめるための、この一年だった気がします。
口では、自分は野良猫や野良犬が野垂れ死にしていくと同じ人生を生きる、と覚悟を決めているようなことを言いながら、実際は、実際に生きる中で、真の理解者、心を開いてくれる人を求めていたんですね。すべてそのためにあれこれ迷い苦しみあがく煩悩であった。
昨日、その自分の軟弱の哀しみをしんしんと悟りました。
これでよかったのです。
この世を生きるための真のスタートラインに、やっと立った、ということです。