万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと。要介護の継母のこと。自分自身のこと。・・・福島原発事故後、置き去りにされた猫たちに給餌に通った頃のこと、いっしょに暮らすちょっと多めの犬や猫たちのことを書いた別ブログもあります。(なぜぼくらはおいていかれたの)

至福

私の日常はちょっと憂鬱の色合いが強い。

犬たちや猫たちの毛にまみれて要介護の96歳の継母の明日の食事すらただただ質素を心掛けるだけの日常でしかも疲労に打ちひしがれており、だからというべきか、やることなすこと妙な負の結果を抱えることが多い。どんなに気を取り直しても憂鬱のオーラに取りつかれてしまう、という次第。

 

同年の友人で〇〇さんという方がいるが、この人はご自分のライフワークへの精進を大切にされ常に意欲的で、何らかの賞を受けられることも多く、また経済感覚が優れてその方面でも活躍されていて、自信と余裕が存在そのものを豊かに美しく若々しく瑞々しくして、本当に魅力的な方である。

彼女は、私といる時、たまたま来られた彼女の友人に私を紹介しつつ、「私とこの方、同い年なのよ」と言われる。するとすべての方が、「えーっ!」とびっくりされる。

いつものことながら私は、彼女の微妙なドヤ(^^♪の横で、苦笑して頷くのである。

 

と、たいていの友人や知人と真逆の人生の道を憂鬱色濃く歩む私であるが、実はこれでも、胸の底には結構、前向きの夢のような生き方をしようと努力している面がある。

ま、想うのは勝手ですからこの夢二つを臆面もなく明かしますと、ひとつは動物病院を持ちたいということ。・・・私のように社会性が未熟で、不器用な生活能力しかなくて、でも、動物たちの心の痛みをわかり、だからこそ結果的に掬い上げてしまい、世間からも一部の愛護関係の人からもいいような偏見と決めつけを受け、苦しみ続けている人に、理解という心を開いて接する病院を作りたいのだ。捨てられて苦しむ動物を救うとはこうした一面も大事だ、と私は体感から知っているのだ。

 

もう一つは、何の組織にもグループにも属さない、真に書き手の魂に心を開いている出版社を作りたい、ということだ。

 

動物病院も出版社も、小さなもの。儲けもなくていい。ただ続けていく経営能力は身に着ける努力はする。

そして大事なのは、弱い立場のものや少数派のなれ合い寄り合いの場所やレベルにはしない、ということだ。それぞれの自立は個人個人が目指さなくてはいけない。その自立を培う助け合いの必要を忘れたくないが、つるみあいなれ合いそこでの一部の強者の駒になるような活動にはならない。しない。

 

そんな動物病院と出版社を立ち上げたいとずうっと前から思っている。

でも何の進展もない。だけど、まだ諦めていない。

 

それらの目標のための自分の自立を考えている段階でしかない。明日死んでもおかしくない高齢になっているというのに、大真面目である。

 

今、その道を行く努力の時である。カメさんよりもでんでん虫さんよりもぼつぼつしているが・・・。

 

というわけで、私がブログを書かなくなっても心配しないでね。友よ。