万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと。要介護の継母のこと。自分自身のこと。・・・福島原発事故後、置き去りにされた猫たちに給餌に通った頃のこと、いっしょに暮らすちょっと多めの犬や猫たちのことを書いた別ブログもあります。(なぜぼくらはおいていかれたの)

パートエレジー

何度も繰り返し書いているが、私の暮らしは今、要介護の四捨五入すると100歳の継母と、近隣に置き捨てられていたり原発爆発後福島の警戒区域などに置き去りになっていた猫たち犬たち27匹(ついこの前大事な大事なもんちゃんが死んでしまったから26匹だ)の大所帯である。

食費、医療費、介護費等を、夫の遺族年金で賄っていて、何をやっても頼りない私の腕では本当に近い将来みんなで餓死状態になるやもしれぬ現実である。

 

何とかしたいと、最近私はある介護施設の求人募集に応募し、74歳という年齢と見るからに世間知らずな無才人間とわかる私が雇っていただくわけがないと思っていたのに”見事”採用になり勤めに出始めた。

職種は清掃と洗濯関係である。二人の先輩の方の下で一生懸命働きだした。

真実言われた通り黙々と働いている。ご高齢の利用者さんが100人おられる施設の清掃と洗濯はそれなりにそれなりの状況もあるが、私は”何があっても決して嫌な顔をせずすすんで責任を果たす”を私なりに肝に銘じて黙々と黙々と働いているのだ。

大食堂のモップ掛けなど尋常でないしんどさだが、心中ひそかに『継母のためならエンヤコーラ、猫たち犬たちのためならエンヤコーラ』と掛け声かけながら励んでいる。ほんとだよ。

 

ところが、こんな事態が生じた。

突然、二人の先輩さんが、私に顔を寄せてきて、「食堂でみんなが食事をしている最中にもゴミ回収しているの?」。

「ハイ、そのように指導担当の事務のMさんに指導を受けました通りです。書類もありますよ」・・・だいたいこのやり方はこの先輩さんたちも承知の上のはず。というより彼女たちもやってきたはずのことだ。

それなのに、突然の非難めいた指摘で戸惑った。

だいたい最初から私は誰に言われなくても食堂のゴミ回収が気になっていた。なにしろ食事をされている中のことだから。それで、ゴミ車を廊下に起き、ゴミ袋を静かに引き出して廊下に持って行き、そこで別袋に入れ替えるなど配慮していた。

そのことも話し、「それでも不備でしたら、回収の順番をかえてやりましょうか」とまで提案し、そうすることになった。そうして私はその通りに実行していた。

これで何事もなくすすむはずだった。

 

ところが昨日、事務の指導担当の方が、帰宅時間になって時間の記載のために事務所に寄った私を待ちかねおられていて、ゴミの回収の方法を変えてくれと言う。

「かえましたが?」

・・・ことは単純なことなのに、これで終わらない。雰囲気的に、妙に私が言いつけを守らないと思っているような感じなのである。

私はこういうのが大っ嫌いなんですよね。心を公正に開いて話をきけばなんでもなくああそういうことか、とわかることが、妙にすっきりしない責めをもってくる。どうしなんだ?だ。

 

実はこの日、いつもの作業中に、二人の先輩さんが、いきなり私を囲むようにして、トイレ掃除をするだかしてだか、と言ったのである。

トイレ掃除のことは契約の最初の説明に入っていなかったし、仕事の内容を書いた箇条書きにもなかったので、突然、大きな山のような箱にトイレ用のあれこれおを積み込まれたものを目の前に運ばれ、合理的な説明はせず、「今日は洗濯たたみの仕事が早く終わったから・・・」とばたばたと押され、「トイレ掃除をするのならそれなりの説明があればしますよ、ただこのやり方がだまし討ちみたいで変じゃね?」的に言った私の言動も気にくわなかったのだろうが、私にしたら、??????????気分が悪くなるばかりの雰囲気に。

 

おまけに、トイレに行ってからの説明も、とんでもない早口で、「これががらずの洗剤、これは便器、ぞうきんは濡れてるのはなんとかかんとか(さわってみたらほとんでお濡れてる)」とさっぱりのみこめません。

そして、床にこびりついた大便をとるのに、私は洗剤をたらしてトイレレットペーパーでふき取るのが一番きれいにとれて、除菌にもなるからと言うのに、その先輩は、定規のようなものを私に持たせ、「これでこさいでください」と言うのである。

「は??? 固くこびりついた大人の大便を、定規でこさぐ?」

「ええ、トイレットペーパーは一切れも掃除では使いません。お金がかかってもったいないから」

「こさいだ大便はペーパーに包まず、素手でどうにかするってわけですか? こんな掃除の仕方を、一階、二階、いくつもあるトイレを掃除するんですか?」

 

こんな仕儀もあったものだから、私は事務の担当者が、ただあちら側の言い分しか聞いていないでいることにうんざりしてきた。

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ま、いい。

いつかこういうわけわからない妙なことになるだろうと思っていた。

小さな集団というのは、公正で視野の真っすぐな人間が一人いれば、過剰に物事が重くなったり、一人をわるものに仕上げてしまう、ということにはならないが、そうした公正な人が仕切れば、今度は自分は絶対正しいつもりの先輩格のほうが気分を悪くしてしまい、「私、やめてやる」と言いかねなくなるのだろう。

だから、私のような非力なぼんやりが背負わなくていいものを背負わされるのだ。

 

ま、仕方ない。ここは黙して成り行きにまかせよう。