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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

最近のニュースや自分の日常からメモ日記

■ボブディランさんのノーベル文学賞

平和賞ではいけなかったんだろうか。そのほうがぴったりくる。

 

■沖縄よ

土人て言われたんですね。どこまで私たちは無知で人でなしなのでしょう。・・・でも残念ですが、私たちの多くが、自分もまたこういう言葉を発するレベルであることに気づいていない。その無知と人でなしさを私は恥じているが、恥じても恥じても自分はその程度なのだと思い知ることが多くある。

 

■事件のもと

さまざまな凶悪事件が起こる。・・・私たちは、人や物事を見るとき、自分の魂を開いて見ているだろうか。自分の魂を自由にして人や物事に対しているだろうか。いいや、私の感じるところでは私たちの殆どは、人や物事を、自分の魂を利益や多数や損得という秤に売り渡してしか見てない気がする。

そこの場の権力の視線のままに人や物事を決めつけていく。・・・このことに多くが気づいて一人ひとりの魂が自由になって人や物事を見るようになったら、凶悪な事件はずいぶん少なくなるのではないか、とずううううっと思ってきた。凶悪な事件の殆どは、決めつけの檻に締め付けられた悲しみから発すると感じてならないから。

 

■寒くなってきた。また猫ちゃんが捨てられている

見た目はブスイ大人の白猫ちゃんはうちに入って生きることを選んでくれた。そして今、ほかの猫たちとうまくいくように、私は眠る時間を捨てて狭い家の部屋のやりくりや猫同士の軋轢を緩和させるためにどれだけ苦労しているか。こうした猫たちの不妊手術費用や医療費用やごはん費用の獲得のために、早朝から出る掃除人のパートの過酷に耐えながらである。

ほかにまだ子猫の三毛ちゃんもどこかにいる。親から離され慣れた住処から放られた三毛ちゃんの顔つきの哀しさ。なんとか家に入れてせめて飢えなく安心して眠らせてやりたいと心を痛めているが捕まらない。

 

平然とこちらの人権など踏みつぶして捨てていく人よ。私の辛さ、疲労の重さがわかりますか。わかるわけがない。あなたはそのあなたの口で、「戦争は反対」「思い遣りある社会を」「優しさが大事」と言い、自分に満足をしているのでしょう。たいしたもんです。・・・・・と、このように言ったり書いたりはするまいと何度も肝に銘じるのに、こうして自分の心の貧しさを晒してしまう私です。寂しい秋です。辛い秋です。

 

若い人が、寂しさに負けず自分の道を見つけることを、せめてせめて祈っている。死ぬな。殺すな。生きてほしい、と。