このブログは大事な大事なキキちゃんの名前をアカウント名にしたのだった
だから、メモでもいいから続けるのだ。
こういう大事なことを、何事かでちょっとめんどうに思うとすぐに忘れて停止したりやめたりする自分。だめだなぁ。
キキや。どうしている? 忘れた日は一日たりともない。
悲哀ばかりの私だ。
夢の記述
枕もとで誰かが話している。ラジオだと夢の中で思っている。その一方で、誰かがいて寒いのを我慢しているように感じる。
自分は眠っていながら部屋が雑多になっているのを気にして、ああ、部屋が汚いままの中に人が来ている、布団をしいてあげなくては、寝られるようにしてあげなくては、その人は誰だろうと心配しながら思っている。そのくせ自分は寝たままであった。妙な不安感を持ちながら。
アカウントが乗っ取られたって?
先ほどツイッターから、アカウントが乗っ取られた可能性があるのでパスワードを変更してくださいとの通知がきた。
????????である。私のアカウントが何の役に立つんだ? アクセスも驚異的に少ないのに。わけわからん。
というわけで面倒なので、パスワードを変更したあと削除退会した。やれやれ。
このブログも気が向いた日に終わろう。我ながらなんのためのブログかもわからないつまらん使い方してるし。
それでも、ツイッターとこのブログを読んで下さった方がおられて、ほんとにほんとに嬉しかったです。ありがとうございました!♪
アメブロの、「社)なぜぼくらはおいていかれたの」というブログだけは、続けていきますので、もしもお気がむかれましたら、のぞきに来てください。
ではでは、皆様のご健勝とご多幸をお祈りしています♪
まったくな日々
パソコンがとうとうメールの送受信が出来なくなった。件名は受信するのだが本文が出ない。当然返信も送信もできない。
癇癪起こして森の茂みにでも捨ててしまいたいところだが、それなりに自分には重要なメールのやりとりもあるので、先だってあれこれのサポートさんに助けを求めてなんとかすることを試みた。
ほんとに一日かけて、スマホにメインのアドレスが着信なるようにした。といってもパケットだかロケットだかの代金が結構高額だというので、一時間に一回そのアドレスが入るようにした。これでいいんだかなんなのだかわからない。それでも一応メインアドレスの中身は読めるようになったので、ま、いいか、と己を慰めている。
この記事だって送信するところまでできるかどうか////
おばあちゃんこと継母いわく
掃除人の仕事、結構体力使うししかも四時間立ちっぱなし(洗濯物をたたむときはカーペットを敷いた床に座っての作業になるのだが、私は殆ど座らず立ったまま棚をたたみ台にして作業をする。このほうがたたんだ衣服をどんどん各自の棚に入れていけるので早いのだ。床に座ると、立つとき「どっこらしょ」状態になるので時間のロスが出る。
というわけで、それなりの重労働感があり、帰宅したら大急ぎでおばあちゃんのお昼ご飯を作るし、それらが終わり一応一段落すると、私は椅子から立ち上がるのもいやってほどになってしまう。
さて、そんなであるが、先輩の女性お二人から今日もほめていただき、それをおばあちゃんに嬉し気に話したら、おばあちゃんいわく。
「掃除婦の仕事なんてやり手がいないのに、和恵さんみたいに喜んでやる人は貴重だからおだてておくのよ」。
これを聞いて私は内心言い返した。
『おぬし、私に恨みでもあるのか』。
これをケアマネさんに話したら、「さすが梅おばあちゃん、よく世間を知っている」だって。
結局私はこういうふうに、誰かにほめてもらったことがない。コドクだ。
NHKアーカイブス この子らを世の光に
つい今、糸賀一雄の思想と実践として有名な、『この子らを世の光』を映像化した番組を観た。
障害者の存在を、”障害者に世の光を”ではなく、”障害者を世の光に”と気づき、実践をしてこられた糸賀先生と、それぞれの人格と思想を培いつつ、糸賀先生を支えともに歩まれた、池田太郎先生、田村一二先生の姿と思想と実践を追った何年も前の番組を紹介した番組である。
『障害者と健常者がともに生きていける社会こそが豊かな社会である』を実践し続けてこられた糸賀先生と池田先生と田村先生。 私は若い頃保育の勉強をして幼稚園教諭をしていたので、知識として糸賀一雄の存在は知っていた。だがすっかり忘れていた。
そしてこの夏から介護施設の掃除人として働きはじめ、施設の仕事の研修の講義をして下さった先生が、『糸賀一雄』を大変尊敬されている形で話をして下さり、糸賀一雄の名前を出されたのだが、この瞬間、思わず、『あっ』と声をあげそうになった。
なんで忘れていたんだろう、というショックがあった。
時間がないのでつらつら書くのは止めるが、ちょっと書き出しの題からずれるが、ひとつだけ書いておきたい。
世の中にはさまざまな形で偉大な生き方をする人がいるものだと、胸がじんじんじんじんする。マザーテレサさんや宮城まりこさん・・・・・私にとって強烈な偉人は、先ごろ亡くなった多くの犬猫を救い続けられた千葉の『藤田美千子さん』。
そしてこれから日本の、いえ、世界の偉人と誰もが認めるだろうと今思えてならないのが、小池百合子都知事である。そう感じる理由は、何をしたとか、どういう高い人であるとかということではなく、”魂の扉を開いて目の前の人や出来事をまっすぐに見れる人”だからだ。
”魂の扉を開いて目の前の人や出来事をまっすぐに見れる人”。テレビの中であるが、私は小池さんをこう認識した時、本物はこうやって顕われた! と思った。
真の偉人はこの点にある気がする。ガンジーもそうであった気がする。マンデラさんも。おそらくオバマさんも権力から離れられて以後、そう生きられるのではないか、と思う。
そうそう、もうひとつ書いておきたい。
『障害者と健常者がともに生きていける社会こそが豊かな社会である』
の中に、犬や猫たち身近な動物(ほかの動物は別の意味と理解がともなうのでここではこう書く)も入ることを願う。
さ、犬の散歩をして、おばあちゃんのごはんだ。