万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと。要介護の継母のこと。自分自身のこと。・・・福島原発事故後、置き去りにされた猫たちに給餌に通った頃のこと、いっしょに暮らすちょっと多めの犬や猫たちのことを書いた別ブログもあります。(なぜぼくらはおいていかれたの)

昨日の授業

私は物事の真理のようなものを探究し、ものをきちんと書ける人間になりたいと思い、かってある教室に通った。平和とか優しさとか人権とかの持つ意味に大変心を寄せいていた。やがて十二冊ほど本を出した。日本ペンクラブの会員にもなった。

でも、ずうっと、こんなはずではなかった、こんなものか、どうしたのだ、という気持ちが淀んでいた。

私は何も真理がわからなかったし、そこでよく聞く人権とか尊厳とかいうものも実際的には何も見えなかった。苦しかった。自分もほかの殆どの存在も、退屈でつまらなくて色あせているだけに感じてならなかった。

 

自分が壊れ、そこの世界から遠のき、そこの世間に不信をしつづけ、立ち直れないような自信喪失を経てから、やっと気づいた。苦しんで苦しんでやっとわかった。

それは誰のせいではない。私自身が、本当に書きたいものを探り当てようとせず、目の前にある影響の強いものやそこの場の価値観に合わせていたからだ・・・と。

哀しいことだが、私は、他者の価値観に合わせていきようとしなければ生きられない、ひ弱わで自分を持っていない者であったのだ。

 

私は別の場で、人としての純潔も誠意も愛もないあるのは強欲と狡猾だけの人間の餌食にされて、この世のこととは思えない苦が続いていたが、そういう人間に標的にされて当然の、ぼんやり能無しお調子者の独善者だったんだ、とも気づいた。

 

本来劣等感も強かったから、なかなか”自分”として立って行くことができなかったが、

時間が経って、70歳を過ぎて、 

それらむごい経験と自覚を糧にして、私は、この世の悪意や冷酷や無関心に滅ぼされていく人間の同行者になって、魂の生命を取り戻していける力を持つ何かの書ける者になりたいと、明確な方向を定めるようになった。

 

ナアンテ、大分大げさだが、大真面目に、昨年の初夏からある学校に通い始めた。

自分の頑ななになっている魂の石の壁のようなものを取り除くには、何でもいい多くを学ぶべき必要があると思ったのだ。

 

そして昨日、今年度最後の授業を受けてきた。

作家であり脚本家のK先生の授業は楽しかった。

時間の間、教えようとされる内容と方向性の核がぶれないのだ。これはすごいことで、受講生には有意義なことなんだ。ほんとにたくさんのものを得た。

こうした時間を持てるようになったことが、軽やかに楽しい。

 

私は少しづつだが、本来持っている自分の何かを取り戻しはじめている、とも思った。

ここに通おうと決めた自分が健気で好きになれそうです。

ありがとうございました。

 

余談だけど、私はラジオ派なので、以前からK先生のラジオドラマをよく聴いていた。

作品は体を表すーイメージ通りに洗練された知性的な素敵な先生でありました。f:id:nkiki:20160316114400g:plain