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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

よくよく計算してみたら38年になるんだ=そこからの動物行政に求めること

勤め人の夫、普通の主婦の私、ごくごく一般的な長男と次男、という我が家に、見知らぬ他人が怒涛のように犬や猫を捨てに来る暮らしになって、ずうっと大雑把に20年とか30年とか言ったり書いたりしていたのですが、今朝早く目覚めたついでによくよく計算したら、なんと、もう38年です。

『愛護団体を作って、仲間と手をとりあって、動物のために活動する。置き捨てられ保護した動物たちの世話は仲間でやる』という組織つくりが出来る能力も意欲も持たなかった私は、ずう~~~~~~~~~~と、夫、家族を苦しめながら、独りで、支援物資や支援資金を一切受け取らず、一匹も他に捨てたり、誰かに押し付けたり(里親になって下さった知人、友人、ブログなどを通して申し出て下さった方はたくさんおられて助けていただきましたが)、行政に処分を頼んだりはせず、心身の疲労、経済の破綻、地域での人間関係の不安などなどを背負って、ひたすらただただ頑張ってきました。

今年で38年間、ということになるのです。
気が付けば、夫を不遇の状態に落としこめて死なせ、息子二人には何の支援もしてやれずこの日本で自力で生きるしかない境遇にし(塾にも通わせなかった。小遣いもやれなかった)、私は必然的に今もなお30匹の犬たち、猫たちの世話と継母の介護をする困窮の暮らしであります。(これは別にいいんですが)
いやぁ、こんな、自分が求めたわけではない成り行きのままの、時には地獄のようだ、絶望だ、と塞ぎ込んだ時期もあった人生の38年です。

そこで、最近、つくづくつくづく考えるのです。
こうした38年を通して、私は今、国や自治体に、動物たちに対して、どういう方向性をとってもらいたいか、ということを。
結局、今、絶対にやってほしいことと、望む方向性は、以下の三点であるんですね。

1)時代は捨てられた猫たちに餌をやるな、という方向を向いており、行政もその流れに進もうとしているようだが、餌をやる人が悪いのではない、悪いのは、捨てる人、という核心を揺らがさないで欲しい、ということ。ひいては、捨てる人に、篤実に真摯に捨ててはいけない指導をしてこず、中途半端にしてきている行政が悪い、ということ。
・これにともなう施行として、全国的に避妊・去勢手術へのある程度の額の助成金を出すシステムにすること。
・指導の方策として、行政と心ある愛護団体や個人の方で、各市町村の自治会、学校等に、定期的に講演や話し合いをする。
・そのお金はどこから出すか・・・犬の登録代金の使い方を見直して、それを回すことはできないのだろうか、と考えます。

2)殺処分0の声が高まっており、私もそれに賛同しますが、その方向への努力と平行して、持ち込まれたり捕獲された動物を収容する施設の改善が必要です。犬猫の収容施設の内情を知っている方の声から、収容された犬たち猫たちの置かれ方は、言葉に尽くせぬ非人間的な過酷な状態にしているということです。地域によっては、愛護者の寄付などで改善されているところもあると聞きますが、予算をきちんととり、全国の収容施設を改善することは、基本的なことではないでしょうか。
・もし、施設の改善など、動物たちを普通に守るための資金確保としてなら、私個人は、税金を支払うのもやぶさかではありません。

3)現在、動物は環境省の管轄になっていますが、どうぶつ省を独立して設け、さまざまな問題に取り組む必要があるのではないでしょうか。家畜、野生生物の問題は、私は語るものをもちませんから何も言えませんが、ペットという身近な動物と社会や個人との共生は、人間の成長や精神性にも深く関連する重要な課題と思います。どうぶつ省を設立し、福祉、教育と並ぶ取り組む時代に来ていると思います。

以上です。
これは、私個人が、自分の経験を通してそれなりに把握したことを土台にし、自分は今すぐこうしてほしいと思うことを列記したもので、他の方のご意見やここに書かなかった点はどうでもいいなどとは思っておりません。むしろ逆で、動物愛護団体や個人ボランティアの方々の行動、意見の多くに対して、心から敬意を抱き賛同しております。