老夫婦の死・・・救えるのは神ではなく、隣人のあなたです
全盲で脚が悪く認知症も患っておられた92歳の男性が自宅ベッドの上で死亡。
介護をされていた87歳の女性が、「じいじ、ごめんなさい」という遺書を遺してベランダで首つり状態で死亡。・・・・・という新聞記事。
このご夫婦には時々訪ねてこられる息子さんや娘さんがおられた。
それでもこのような死の道を選ばれた。
どんなにお辛くしんどかったことだろう。
介護される奥様は、長期間に及ぶ眠りたいのに眠ることの出来ない状態が続き、家でくつろぐわずかの時間もなく、一日に何度も排泄物の始末をし、夫の全体重を支えての入浴や着替え、自分は食べれないまま食事の介助・・・などなどを毎日繰り返し繰り返し繰り返し果たしていく。この間、心の殆どは、自分が完全に世話をしてあげていないと思う罪悪感や反省や申し訳ないという気持ちなどに塞がっている。
もしかしたら、世間からの孤立感、疎外感もあったかもしれない。世間の善良な人々の自分中心と無神経さは、「お前なんか死ね死ね」と言ってるがごとき、のこともありますからね。
行政や公共機関は救いにはなりません。個人個人は皆さん良い方々ですが、決して自分の安全から一歩たりとも降りて、困ってる市町村民に寄り添ってはくれません。苦境に苦しむ市町村民の誰かが強いつきあげをすれば、一生その人を許しません。
そう、社会は、弱い側、少数の側に、本当に本当に冷酷です。
そういうことを肌で感じて黙々と生きる弱きものは、殺人者になるか、自分の命を殺すしかないのです。
私にはわかります。
私も多分、ちかいうちにそうなるかもしれない苦痛と孤独と貧困の中にいるからです。
今は、まだ生きている。だから、このご夫妻のために泣き、祈ります。辛い人生でしたね。どうか、安らかにお休みください。
神はなぜこの方々を救わなかったか。
神の力も及べないほど、世界中に辛い人々がいるからです。
救えるのは、神ではなく、隣人のあなたです・・・・・・・・・。