万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと。要介護の継母のこと。自分自身のこと。・・・福島原発事故後、置き去りにされた猫たちに給餌に通った頃のこと、いっしょに暮らすちょっと多めの犬や猫たちのことを書いた別ブログもあります。(なぜぼくらはおいていかれたの)

すべての人を迎え入れるいつくしみの扉=ある神父さんのツイートより

ある神父さんのツイートに、下の言葉がありました。

 

「愛という武器によって、神は利己心と死に打ち勝ちました。神の子であるイエスは、すべての人を迎え入れるいつくしみの扉です。」

 

・・・・・↓管理人万魚の思い・・・・・・

私はこの神父さんの言葉はその通りだと思います。何も疑いません。

 

でも、暮らしの中で、教会や愛や平和や人権などなどを謳う場所こそ、排除や疎外を、平気でそれが正義として行う所になっており、そうした場所にしている人はそこで力を持っておられることを知っています。

これは悪口や皮肉や中傷として言ってるのではありません。悲しみと失意のゆえに言っているのです。それすらも見抜けぬ、愛や平和や人権などなどを主張する指導的立場の人が、この世、この社会を制している、と感じてならないことが多いです。

 

こうした社会に、何の栄誉も力も背景も持たぬ貧しき個人は、本当に本当に本当に生きていくことは辛いです。もちろん、それでも生きています。ゆうゆうとのうのうと。現代にイエスが生きておられるなら、イエスの力になれる隣人でありたいと祈りながら。