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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

真田丸 第25回「別離」 第26回「瓜売」

26日放送の「別離」は観れなかったので7月2日土曜日の再放送を観た。

千利休は北条にも武器を売っていたということが秀吉の疑念、不信を起こさせ、利休の立像をある寺の門につけていたことが切腹の直接の理由となったようだが、この立像は淀君の気まぐれな思い付きの結果であったことで、千利休に何の作為のあったことではなかったようだ。

 

利休はもちろんそれがわかっていながら、「さだめじゃ」という一言を残して切腹に応じる。また北条にも武器にする鉛を売っていたことも、秀吉への裏切りや強欲のための計算ということではなく、先祖の代からの商人の家に生まれ育った者の自然の成り行きに過ぎない次第であったようだ。

動物や自然がその習性のままに存在するように、利休もまた宇宙の法則のままに生きたということなのだろう。

そう、千利休に闇はなかったのだ。そこの深さを、桂文枝は、絶妙の俗性と聖性(さだめのままに)のはざまを演じた、と私は感じた。そこは最後にならないとわからなかった。

 

今夜の第26回「瓜売」はまたまた笑わせてもらった。ここの笑いどころは昌幸と秀吉。そして、「へ~、そうなんだ」と感心したのは、結局昌幸が瓜売の仮装を止めたのを、本人、家族一同が、いかにも無念そうだったところ。私など、あんな仮装なんか止めたってどうってことないじゃん、という底の浅い受け取りしかしていなかったが、あの時代のあの時、当事者にとっては重大なことだったんですね。それをきちんと描く演出、やはり非凡なんですね?

 

とにかく面白かったっす。そしてそうしたてんやわんやの背景に、やがて来る秀次の恐ろしい悲劇が垣間見え、笑って観ていながらも、層の重さは感じていました。・・・で、きりちゃんは秀次の側室になったら悲劇に巻き込まれていくことになりますよね。大丈夫なのかな?