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万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと、家の周りに置いて行かれたり福島原発事故後警戒区域になった町で出合い同居している猫たち犬たちのこと、要介護の継母のこと、自分自身のこと。・・・煩悩多きブログだが何か光のようなものも感じるままに。別ブログ「なぜぼくらはおいていかれたの」http://ameblo.jp/kaze-amb

鳥の広場さん記事にリンク=多頭飼い崩壊の問題と獣医師西山ゆう子さんの講演のお知らせ

torikyou2013.blog.fc2.com

 

・・・↓管理人・・・・・・

多頭飼い崩壊があちこちで起こっているという。

その情報を知るたびに胸が複雑な痛みを起こし、食欲はなくなるし胃痛さえ起こる。

他人が家に動物をどんどん捨てていく暮らしが40年近くになっており(ついこの前まで20年から30年と言っていたが、よくよく計算したらナント40年に及ぶんだゾ)、福島原発爆発以後はそちらへの給餌活動なども続け、現在高齢の継母の介護と27匹の犬たち猫たちを抱え、他にも諸事情があって預金はなく夫が遺してくれた年金だけの暮らしは、多頭飼い崩壊という悲劇に直結する不安を間近に感じさせるのだ。

 

思えば自分の贅沢のためにお金を使うということはまずなかった。

ただ、どうも性格が弱いというのか、目の前に困っている人に会ったり、知人や友人が困窮の事態に見舞われると、後先考えず持ってるものを全部差し出す、という状態にしてしまい、犬や猫にしても、「もお絶対自分で引き取るのは無理!!!」と表にもそう発言するのに、いざ目にしてしまうと可哀想で可哀想でどうすることもできなくなり掬い上げてしますのだ。そしてついには自分の暮らしも普通にできなくなりかねない現状に。(ハハ・・・笑い事じゃないが、つい笑ってしまう)

 

私はある時期まで、年に二冊本を出していただいていた。普通の暮らしならそれなりの収入になっていたが、自分や家族や家のために使うということはなく、全て動物家族に必要であった。猫や犬はただ餌をやりそれも残飯であればそうかからないでしょ、と決めつけている人がいるが、私のように次々置いて行かれる状況になると、とても費用がかかる。まず病気が蔓延しないために検査が必要だ。昔は検査代金が高額だった。

その次に絶対必要なのが不妊手術。これも昔はとんでもなく高額にかかった。

貰い手探しにも高額かかった。貰い手がついたら、犬の場合だと犬小屋から翌年にかかる予防注射代金、手術をしていなかったら手術代金、などなど。

私は支援金などを拒否していたので(福島へ行く二年半のみ給餌に支援をしていただいたが)大げさでなくすべてをつぎ込んだし、そうしなくてはできなかった。

 

苦しかった。場合によっては、福島行の支援をしていただくのも苦しみになったこともあった。とにかく、個人で膨大な労苦を背負ってきた40年だった。

グループで賢明にやっていく才能があったら、と思うが、私は家族内のある事情も抱えていたし、もしグループ作りの力量があったとしてもやっていくのは無理だった。

 

夫をこうした成り行きの中で、「猫の家犬の庭」になった家で最期を迎えさせてしまった。

この苦悩、辛さは私が首をくくったところでおさまりはつかない。そう思い思いその後に来たあの悲惨な非道な悲しい福島に飛び込み生き続けたんだ。

 

神は、困った人に全部を差し出しなさいと言われれているが、ほんとに真実そう暮らしてきて、今トホホホの困窮だゾ。(ま、これはいいか、覆水盆にかえらぬし、真田丸千利休氏のセリフを借りれば、”さだめじゃ”な。

 

話を戻しますが、多頭飼いの悲劇は他人事ではないのです。

犬猫の件に関しては世間の人の多くはバカタレ身勝手自己中心自分勝手情け知らず者だから、結局は、私自身が賢く対処するしかなかったのであって、それができなかった自分の自業自得か。ま、これはやはりさだめじゃな。

 

と自分の愚かには暗くなりますが、実の思いは、動物行政がいい加減であったことの真実から目をそらすつもりはない! 

あ、おばあちゃん(継母)の昼食急がなきゃいけないから、この続きは後日に。