スマホエレジー2 マジで自己嫌悪
昨日使えなくなった携帯をスマホにした。
このことでほんとう~に自己嫌悪である。とにかく店での購入手続きの時間のかかりように疲れ切り、もうその段階でスマホに関心を失くしてしまった。『なんなんだ、この時間の捨て方は!!! その代わりに何を得ようとしているのか??? 必要な通信のために、電話とメールさえできればよかったのに。私にはそれが分相応だったのに。こんなに経済が行き詰っているというのに、月払いとはいえ高価な買い物をしてしまう自分がほとほと嫌になった・・・(涙)』
こうした心情だけのことではない、ほかにももろもろ理由がある。これらの殆どは私がこうした機器類の操作をする能力も感性もないという結果だろうとは思うが、とにかくスマホにしてのを機にかえたメルアドを他の方々に伝えるということもできないのだ。
Fちさと様 新鮮なお野菜をいっぱい! ありがとうございました♪
昨日チルドが届いてびっくりでした。
Fさんこそ日夜捨てられた猫たちを救っておられて全てに大変なのに、こうして私などにも篤いお心づかいを下さり、申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになりました。
ありがとうございます。昨日早速調理をしておいしくおいしくいただきました。私は野菜中心なので、新鮮なお野菜は命のもとです。とても嬉しかったです。
とはいえ、大変な日常をおくっておられるFさんにこんなご心配をかけてしまって、自分がグダグダと貧乏と闘っているブログを書いたことを反省しています。(汗)
私の自虐つぶやきは、いわば自己ビタミン剤なんです。こうやって普段の暮らしの疲れなどをカツリョクに替えるというか。
そんな自分の独善が毎日猫ちゃんの命と心を掬い上げておられるFさんに、こんなご心配をかけてしまった・・・・・・すみません、ごめんなさい。
でも本当に嬉しかったです。孤独感からも癒されて、明るい気持ちになりました。
ほんとにほんとにありがとうございます!!! マオ(佐々木和恵)
docomoエレジー
携帯がいよいよ使用不可となって、『もう携帯持たない生活にしようか・・・』と思うんだけど、それでもあれば何かと便利だし・・・・・と迷いに迷っていたところにdocomoの広告がポストに入っていた。
スマホが月々2880円。678円でご購入いただけます。とのこと。
『え? スマホが678円でカエル? 月々2880円でいい?』・・・昨日、疲れた心身を鞭打って下妻の大手スーパー内のdocomo店舗に出かけた。
長々とアンケートやら個人情報提供をして、よく頭に入らない説明を聞いて、あと15分、1分と言われながら待っていると、担当者が変わられて、「あと一時間はかかります」と言う。
「うそでしょ!!! もお無理!!!」と半ば悲鳴。継母を待たせての二時間近くの説明と購入意思を決めてのあと一時間はないでしょ。何度も病人がいるので、と諦めかけたのを引っ張り、とどのつまりが、プロバイダに問い合わせウンヌンウンヌンにさらに一時間はかかるとは???!!!
一応明日(今日)の朝に続きの予約を入れて帰宅したのだが、病人におなかをすかさせて私は何を欲張っているんだと、自分の広告につられた欲張り未練がましい根性が涙がにじむほど嫌になった。
『docomoにもこんなに馬鹿にされる有様になってしまっている自分なんだなぁ・・・・・・・』という思いもわいてきて、夕やみに暮れた町を、一層の疲労に押しつぶされそうになりながら、トボトボトボトボガタガタガタガタと車を走らせて帰宅したのでありました。
スマホはいいや。やめる。分不相応だったんだ。
携帯もやめるか・・・・・・と自問自答する今朝であるが、おばあちゃんの介護のなかで携帯がないのはやっぱり不便だしなぁ・・・ここは嫌な気分はさっぱりと切り替えて、一番安価な携帯にするか・・・あぁあ、外はまだ暗いや、もうひと眠りしよう。
(※自分の別ブログからの転載)
相変わらずうだつのあがらない・・・
相変わらずうだつの上がらない気落ちの日々。
もんが死んだことの重い寂しさ、悔い。
楢葉の猫たちが安心して集っていたM所が解体されるとかで、残っている猫たちの救出に尽力している人の手伝いで出来る状況でないことの気落ち。ごめんなさい。猫ちゃんたちごめんよ・・・。
雨漏り修理の保険金がおりると保険会社から聞いて、今の苦境をなんとか乗り越えられそうだ安堵と感謝で天にも上る気持ちだったが、それからしばらく経ち、約束の日にちも過ぎ、業者さんにお支払いもできず・・・でも、猫、犬たちのごはんの買いだめをしておいたので、その点は安心で、自分の運のよさを喜ぶ。
お米もあることも幸い。おばあちゃんと私は連日朝・昼・夕、おにぎりで過ごす。
こんあもんよ。私の場合は身近な動物の救助ということだが何かに無欲にすべてを差し出すということは。いつも餓死かもしれないと冗談半分に言ってるけど、実際、そういう覚悟でやってきたよ。
いよいよ迫って来たからってガタガタすることたぁない。
その日が来たらそれはそれでいいのさ。クリスチャンのはしくれではないか、神仏の思し召しに普通に従わなくてどうする。
ナアンチャッテいいながも、まだまだ前向きにすすもうと志は持っているゾ。
というわけで元気です。
でもハラヘッタ。
どうなることやら
継母はたいてい8時には就床する。
夕方には猫たちや犬たちのごはんも散歩もトイレ掃除も終わっているので、継母の就床とともに私の一日もほおっと一息つく。
そうしてしばらくの時間、自分の時間として使う。
それなのに、たまにだが、継母が就床する前に、『ちょっとだけ・・・ほんの五分だけ・・・』と自分の布団に入ることがあって、そういう時、気が付くとも日にちがかわっている時間になっている。びっくりして飛び起き階下に走ると継母は自力で就床してくれていて、すやすやと寝息を立てている。よかったぁ、と私も本格的に寝る。
今日もそういう日であった。これから休みたいが、なんとなく気分は「どうなることやら」である。
模倣犯 後編
前編に比せば今夜の後編のほうが面白かったが、全体にありきたりという感想だった。
猟奇的殺人鬼の殆どは、幼い時期、親や自分に影響大だった誰かからの虐待を受けたトラウマにその原因がある、という筋書きだが、この映画もまさにそのまんまで、犯人の男が犯罪のスタートは親を殺しているだろうというのも容易に想像がつくものだし、とにかくつまらない凡庸な作りだった。
思うに、犯人の若者はこどもの頃、親、親の愛人、愛人の家族から凄惨ないじめにあっているわけだが、作品の主軸に、いじめた側への関心が全く描かれてないのがなんとも空っぽに感じて仕方がなかったのだ。
結局、不遇な幼児を慈愛で救おうとする大人がいなくて、ただただ財産を減らしたくないという理由で、ひとりぽっちの幼児を恐ろしい目に合わせ続けてきた存在の意味は、私は社会や世間を形作って居るものとして現実的にそれこそが重要ではないか、と思えるので、そこに視点を持たない映画は既成の範疇を出ないもの、でしかなかったのだ。
それにしても、雑誌記者の中谷と、テレビ放送の中で対決した犯人が、中谷の作話にあんなに易々とひっかかってしまうってのはどうなんだろ。中谷の話は作話なのだから、犯人は当然『これはひっかけだ』とわかるわけで、それなのに、あれほど幼稚な狼狽に堕ちるものかなぁ。私はそういうところがつまらなく感じて仕方なかった。
またラストにもう一度中谷が恐怖に合うこともなかったのがあれれ????であった。
今日(9月22日)の東京新聞の芸能欄に、模倣犯の9年後が主役は仲間由紀恵となって作られるらしいので、それに期待してみようとは思っている。
原作を読んでみようと思っているが、原作でも、あの犯人の不幸ゆえの闇を、あっけらかんと拒絶するだけの大人しかいないのだろうか? もちろん凶悪な犯罪を憎み受け付けられないのは当然のことではあるが、犯罪のひどさであればあるほどそこに至った人間の不幸を、深い慈悲に突き動かされる存在者がだれ一人いないというのも”人類の闇”であることに気が付かぬ、というのも深い闇であるわけだが・・・。