寂しさ
友人J子さんのお連れ合いが亡くなられた。
数日前にお聞きしたのだが、すぐにブログなぞに書こうという気持ちになれなかった。自分自身の心身が落ち着いている時に、と思っているうちに今夜になった。
J子さんとは夫の転勤である地に住んだ時に社宅で知り合った。もう四十年になることを今夜指折り数えてわかった。
そこの土地では演劇をやっていた人たちと知り合い、素人劇団を立てて二度ほど公演を行った。その時J子さんは、私が書いた文字とは思えない文字の戯曲を、綺麗な丁寧な字で清書して下さり、キャスト、スタッフ、みんながその読みやすさに安堵したものである。
懐かしいでは片付けられない深いところでお世話になった。やがて私たちは関東に移動し、J子さんは故郷の高知に転勤され、互いに年月を重ねていった。
我が家は猫や犬が捨てていかれる家になり、苦しい人生を歩むことになったのだが、J子さんは遠く離れた土佐の高知から、何かと励ましと力を下さった。
J子さんは聡明な懐深い方なので、家庭を温かくしっかりと守り、何かの不幸が襲うくるなどあり得ない、と私はずうっと思い込んでいた。
だから、数日前にお連れ合いの訃報を聞いて、そんな馬鹿な! とぼう然とした。
でも・・・みんな・・・年をとり、これは不幸なのではなく、自然のことなのだと、この数日、静かに寂しく思い続けていた。
私はお世話になり続けた恩をお返しをしていない。傍若無人な友人であった。
未成熟で異端の歩みしかできない者にも、それなりの悼みを持つ。
J子さんのこれからのおひとりさま人生が、ほどよい陽と心地よい風に守られますように・・・。