万魚の雑々日記

ドラマや映画や文学のこと。要介護の継母のこと。自分自身のこと。・・・福島原発事故後、置き去りにされた猫たちに給餌に通った頃のこと、いっしょに暮らすちょっと多めの犬や猫たちのことを書いた別ブログもあります。(なぜぼくらはおいていかれたの)

寂しさ

友人J子さんのお連れ合いが亡くなられた。

数日前にお聞きしたのだが、すぐにブログなぞに書こうという気持ちになれなかった。自分自身の心身が落ち着いている時に、と思っているうちに今夜になった。

 

J子さんとは夫の転勤である地に住んだ時に社宅で知り合った。もう四十年になることを今夜指折り数えてわかった。

そこの土地では演劇をやっていた人たちと知り合い、素人劇団を立てて二度ほど公演を行った。その時J子さんは、私が書いた文字とは思えない文字の戯曲を、綺麗な丁寧な字で清書して下さり、キャスト、スタッフ、みんながその読みやすさに安堵したものである。

懐かしいでは片付けられない深いところでお世話になった。やがて私たちは関東に移動し、J子さんは故郷の高知に転勤され、互いに年月を重ねていった。

 

我が家は猫や犬が捨てていかれる家になり、苦しい人生を歩むことになったのだが、J子さんは遠く離れた土佐の高知から、何かと励ましと力を下さった。

J子さんは聡明な懐深い方なので、家庭を温かくしっかりと守り、何かの不幸が襲うくるなどあり得ない、と私はずうっと思い込んでいた。

だから、数日前にお連れ合いの訃報を聞いて、そんな馬鹿な! とぼう然とした。

 

でも・・・みんな・・・年をとり、これは不幸なのではなく、自然のことなのだと、この数日、静かに寂しく思い続けていた。

 

私はお世話になり続けた恩をお返しをしていない。傍若無人な友人であった。

未成熟で異端の歩みしかできない者にも、それなりの悼みを持つ。

 

J子さんのこれからのおひとりさま人生が、ほどよい陽と心地よい風に守られますように・・・。