ママシロのあとを追うように
この前旅立ったママシロのあとを追うように、夕べ、プンが逝った。
最近のプンの写真をUPしたいと思ったが、福島に行くようになってそこでの写真が多くなり、ほかの写真はほとんど撮らなくなりなかった。
上の写真は、散歩中のもの。
プンの年齢は、私のメモ記録では今年17年目となっているが、役所の予防注射の記録では19年目の年齢になっている。
うちの猫たちも犬たちは、みんな高齢になっている。
私が今、神に熱心に祈ることのひとつは、動物たちをみんな看取って、それから自分の死が来ますように、である。
そういうが日が来ることが近いのを感じる、立て続く愛しき存在たちのそれぞれの旅立ち。
それならそれなりの達観があっていいはずなのに、なんという寂しさであろう。
猫たちも犬たちも、死の川を渡るとき、決して楽ではないことを知らせて、やっと仏の慈悲の手に抱きしめられていく。
それを見送る辛さ、悲しみ。
プンを近所で見つけ、掬いあげた時、「幸せに生きてほしい、辛い寂しいひもじい思いは絶対させない」と心に強く強く誓った。ほかのみんなもそうであった。猫も犬もみんな。
だがどれだけの子が私のところで幸せであったろう。
毎日のように猫や犬が置いて行かれるうちに、私は、家族への罪悪感に苦しみ、膨大な手術費用や食費や医療費などで暮らしが窮することに怯え、世話に疲れ、社会や世間や人から受ける誹謗中傷などに挫け、人間不信と虚無に堕ち、孤独の日々を過ごし、世間や行政へ理不尽と怒りを抱くようになった。
無垢の子らに、明るく軽やかで楽しい雰囲気をそそぐ暮らしでなくなったのだ。
私はいつも心に憤懣をかかえ、眉間に皺をよせている人間になっていった。
ごめんね、プンちゃん。
ごめんね、みんな。
みんなはこの世に産まれたんだから、町のどこでも、ゆうゆうとのうのうと楽しく楽に生きて当然だったんだよ。捨てられて飢えて死んでいくむごい理不尽を受けるいわれはないんだよ。
それをうちの暮らしでなら守れるはずだった。のんきにそう思っていた。猫とうちの次男坊との合同誕生パーティなんか開いたこともあった。、誰でもどうぞとチラシを塀に張っていたら、六十人の知らない子供が集まった。みんな猫缶や煮干しの袋にりぼんつけて♪ 私の友達が紙芝居やお話や歌もやってくれて♪
猫は家の中のどこかに逃げ込んで姿を隠していたけど、楽しかったね。
夢のように面白かった。
でもこれが地獄の始まりだったよ。
猫のパーティをする猫好きのおばさん、と市内中に噂が広まり、次々と猫が朝起きたら箱に入れられて庭にいた。持ち込みも続いた。
私は猫は好きだけど、集めるのが好きなのではなく、動物みんながそれぞれの場でそれぞれの習性を尊ばれて生きる地球がいい、という好きだったのに・・・。
そして、本当に困る、と言ったら、「あんな猫との合同パーティを開くのが悪い。今更引き取れないのは卑怯」とマジでバッシングされた。私は一度も、動物愛護活動をする、とも引き取るとも言ってないし、想ってもいなかったのに!
悪夢のようだった。どうしたんだ? この人たちは? とコワカッタ。
あれ? 何を言いたくなったんだ? やれやれ。(このやれやれ、は村上ラジヲさんの真似)