清原さんの裁判
継母の様子が気になるので、ゆっくりテレビを観る余裕はないのだが、清原和博さんの裁判はどんな様子だったのだろうと、昼間あるテレビ局のワイドニュースを観た。
ゲストの一人の方が、「プレッシャーから解放されたくて現役を引退して後薬を使うようになった、と言っていたが、プレッシャーは現役の頃のほうが強いはずだから、薬は現役時代から使っていたのではないか・・・」というニュアンスの発言をされていて、私はその人の洞察性に反発を感じた。
現役時代のプレッシャー、ストレスよりも、引退後、どこからも野球に関わる仕事の依頼がなかった、というところでの疎外感、孤独感、失意、そしてそこに生じる人間不信やさまざまに湧く想念こそが彼を地獄の苦しみに追い詰めたのだろう、と思う。
そこで思うのがやはり、純真そのものの期待と希望と信頼をもって臨んだドラフトでの冷酷な裏切り、の傷の深さである。
痛ましさに胸が潰れそうだ。
権力や強欲な大人は己の利や欲望のためにこうやってどれだけの人を抹殺していくのか。
抹殺されていく人間が、唯一救われる道は、”赦す”ことしかない。この至難の痛ましさ。でも、真の救いは己を含めてすべてを赦すしかない。欺瞞、偽善、独善、諦めのようであるがそんなことに囚われず命がけで赦すしかないのだ。・・・と、私は自分に向き合っている。人間としての質が稚拙で低劣な私は、赦しの道の入り口にも辿りつけずに野に死ぬだろうが。せめて、ケ・セラセラと、覚悟は。